近年 いじめが大きく取り上げらています。

もちろん いじめは良くないことですし 根絶をめざすのは 一人ひとりの人権を大切にするということでもありますから 大切なことだと思います。

しかし、いじめる いじめられる という関係になることを恐れるあまり 

人と摩擦をおこしてはいけない ということに あまりに過敏になりすぎる ということもあるのではないでしょうか?

子供が集まれば 意見の食い違いから喧嘩になるということは起きることでしょう。

子供は喧嘩をとおして、誤解を解いたり、理解しあうこと、解決するすべを身に着け、成長するものでもあります。

なので、あまりに摩擦を恐れるあまり 自己主張ができず、一度意見が食い違うと修復できないと、

行き着くところまで行ってしまうということが起こったり、

また一人殻に閉じこもって、いやな思いをするくらいなら友達なんかいらない というような異常な事態も起こるのではないでしょうか。

「喧嘩は両者の衝突だが、いじめは一方的である。

また、喧嘩は双方が不快になるが、いじめは片方が不快になり、もう片方は愉快な気持ちになる」

とどこかで見たか聞いたことがあります。

喧嘩といじめは違うのです。

いじめを警戒するあまり、子供が集団のなかで生きていくすべを体得する機会を奪わないように気をつけるのも また大人の義務だと思います

以前、「問題が起こらない組織がよいのではなく、問題が起こったとき解決できる組織が良い組織である」と習ったことがあります。

「他人ともめないのが良い子なのではなく、他人と自分の違いを受け入れ、その違いを乗り越える知恵をだしあい協調していける子が強い子なのだ」と

大人も子供も、もう一度よくよく考えてみたいと思います。