下水道管の破裂による道路陥没のニュースは驚きでした

これ日本のニュースと思わずタイトルを二度見しました

長く行方不明になられたトラックの運転手の方やご家族の方々にはかける言葉もありません

それとは直接関係のない話ですが 今年も花粉症の季節がやってきました

私は幸い花粉症の症状が出ていないのですが(鈍感なだけか出ていないと思いたいだけではないかとひやかされていますが

こちらも 沢山の人が普通に生活しているだけなのにせっかくの過ごしやすい良い季節につらい目にあっておられます

この二つ まったく違った事件のように見えますが 根っこのところが同じではないかと感じています

下水道管の経年劣化に伴う事故の方は耐用年数が経過していることがわかっていながら取替などの対応が日にち伸ばしになっていました

わかっていながら・・というのは別の問題(予算が取れないとか)もあるでしょうが 

コンクリートつくりのものの劣化により塀や壁が崩れて事故につながったのと同じで 

理論的には耐用年数は経過しているが まだまだ大きな事故になったところはない とか

そもそも 建築(埋設)したときには半永久的に使用ができる素晴らしい素材であるなどと言っていたくせに・・・というような自己弁護的な思いもあったように思います

かたや 花粉症の原因と言われている スギ花粉については 植樹によって丸裸になってしまった山肌などに緑を取り戻そうと考えられたときに

政府主導で杉が推奨されたかに聞いています

幹がまっすぐに伸びるとか枝が少ないといった材料としての視点から決定されたと思ってしまいます

この様な工事や施策の実行においては その時点ではまだこの結果は予測できなかったといった やむをえない事情もあったでしょうし

当時の担当者を今の知識や結果から避難するのも当てはまらない とは思います

しかし 原子力発電所の新設や東北地方の地震被害があった海岸線での堤防の高さなど

何を根拠に大丈夫とか安全とか言えるのかと思わざるを得ないGOの決定も多々目にしたり耳にしたりします

どんなことにおいても 心配ばかりしていては何も進まない とか 誰かが思い切ってリーダーにならないと置いてきぼりになるとか・・・

それも困りものですが

なぜ片っ端から後のことは後で考えるとして といった決定で物事がすすんでしまうのでしょうか

その一つには 私たちが便利さや今の快適さを優先させてしまって あるいは 先のことはきっと何とかなるという超楽観的な人に気に入られるように

今はできないけれどきっと将来には誰か賢い人が解決してくれるに違いないなどと 今の快適さを最優先し 根拠のない希望に隠れて子供や孫やひ孫に負担を押し付けて

それが具体的に見えないので大したことはないはずなどとあえて考えないようにしている(あるいは想像力が及ばない)のではないかと思います

ひとのことではありません

私自身を考えても やはり今 急に犠牲やガマンを強制されるようなことが起これば そんな殺生なと 何とかそれはヤメテ と思ったり言ったりすると想像します

100年後の世界中から 日本は賢い国だったとかすばらしい民族だ などとリスペクトの思いで見てほしければ

孫やひ孫からおばあちゃんやおじいちゃんはすごく立派なひとだったと思ってほしければ

大変な大きなことはできなくても 自分でできる少しのガマン 譲り合いを進んでしていきたい しなければならない と思うところです

政府の予算審議を見ていても そもそも予算に回せる資金がないなどという声も大きく聞こえます

そのようなことが言えるのは 生活に不安がない毎日が過ごせている幸せな人だから などと言われる声も聞こえてくるように思います

しかし それぞれの立場でできることをする 自己中心的な言動をすこしだけガマンする から一歩づつ進めていこうと思います