終活
(2024年11月18日 09:00) カテゴリー:所長通信昨今 終活という言葉をよく聞くようになりました
財産整理とか墓じまいとか・・・・
私は仕事柄 「相続対策」とはまずは遺言書を書くことだとつくづく感じていました
配偶者が健在でおられる相続ならば お父様あるいはお母様の一言で
遺産相続も今後の方向も割とスムーズに収まっていくようにお見受けしますが
そうではない場合には 喧嘩をするというほどではないにしても
それぞれの人たちの思惑が少しづつ違って 誰もが少しづつ心にモヤモヤを抱えつつ・・といった場面にも出会います
最近私は遺言執行人としてお子様のおられない相続のお世話をする経験をしています
それで どれほどキチンとした遺言書があっても そう事務的に処理できないものである とつくづく感じています
相続人さまがお子様でないので 法定相続人と言えど思いに温度差も開きもあるようですし
お身内の皆様が誠実で何とか役立とうと思われるほど思いのすれ違いも出てくるようです
日々どのようにするのが皆様の共感とご理解をいただけるのかと考えながら
いわゆる常識も「家」によって違うと新たに感じています
自分のなくなった後は当たり前ですが もう自分は何もできませんし 改めて思いを伝えることもできません
いわゆる相続財産というような財産の取り合いは遺言書などで防げることはわかっていましたが
日用品とかアクセサリーとか壁にある絵とか個人の息遣いが感じられるものの扱いはとても難しいと感じています
なくなった方は 欲しいとおっしゃる人があればもらってもらって 残ったものは処分してくださいと
サバサバとおっしゃってましたが 以外とサバサバとはいかない現実も見ました
思い出があるほど大事にしたいという感情が先立つのだと思います
私は自分も終活をしなければと事あるごとに思って居るのですが
意外と好き放題に好きなものを買って身近において喜んでいる という生活から脱却することこそ
本当の終活になるのではと思うようになってきました
だけれども それでは毎日楽しくないな という思いもまだまだあり
これが人間の欲なのかしらなどと自分の欲深さにため息をついています