もともと人間という動物は群れを作って生活する生きものである といつか習ったことがあったような覚えがあります

また農耕民族である日本人は 田植えや稲刈りの時にはみんなで力を合わせて働かなければ収穫が得られないように

助け合わないと生きていけない民族であったとも教えられています

そのため ひと昔前には色々な慣習やしきたりに縛られる生活を息苦しく感じたり 

もっと個の自立を認めてほしいという空気も大いにあったように思います

しかし 現在 多様性などが尊重され **ハラというのが問題視され 強制的に働かせるなどもタブー視されるようになってくると

リアルな付き合いが苦手でバーチャルな世界でのつながりの方が気楽でよい といった人が増えてきて

職場では隣の席の人とも社内WEBで会話をする なんていう付き合いが普通になってきつつあるようです

それらが全部いけない とか 昔は・・などというつもりは微塵もありませんが

電話が怖くてベルがなっても受話器を取れない とか

退職を申し出る代行業社が出てきている などと見聞きすると

ちょっとどこかバランスが崩れてきているような不気味な危機感を感じてしまいます

私も 歳の割には人付き合いが苦手であったり

何かの集まりに参加することに臆病な気持ちがあったり 

という人間ですから 

人付き合いで心が乱されたくない というような気持ちは非常によくわかります

しかし 勇気をだして直接接しなかったがために 余計に関係がこじれてしまって 修復が大変になるという事もよく見てきていますし

せめて退職の申し出は直接本人にしてほしかった 話し合いもしたかったとも思います

なぜこのようになってきているのか というのはわかりませんが

大人になる過程で 叱られるという経験がなかったとか 挫折しないように回りが手をだしてきた とか

兄弟が少なく年の差がある友達との付き合いの経験が少ないとか

色々なことがあって ひと昔前の大人だったら意識しないでも経験できたような 心が鍛えられる経験が極めて少なく

本当の意味での大人になれないまま年を重ねてきている人があまりにも多いということではないかしらと感じています

その結果承認欲求は強いくせに 自己肯定感がなく もし受け入れられなかったら耐えられない と臆病になって

直接人と接することを怖がる ということになるのではないか

一度否定されたら 二度と立ち直れないと思い込んで やり直す勇気が出ない ということになり こわがってしまう 

という事になってしまっているのかな

昔より今の方がよほど再チャレンジできるであろうに

昔ほど 家やムラに縛られることは少なくなっているだろうに

と思います

思い切って人の群れに飛び込んで 人を受け入れ 人に受け入れてもらえるように笑顔を持つと意識する

といった本来群れるためには身についているはずのものをもう一度考えて  

自然に身についてこなかったなら 努力して身につけて

群れに飛び込める人になってほしい なりたい と思います

でなければ 群れることができなければ 人間として弱くなって 滅びの道にはいってしまう 

そのような 危機感を感じています