政治資金規正法改正案 衆議院通過
(2024年6月10日 09:00) カテゴリー:所長通信政治資金規正法改正案が衆議院を通過したというニュースを見ました
政治資金パーティ券購入者名の公開基準額を「5万円超」に引き下げる とか
政策活動費の使途について項目別の金額と「年月」を政党の政治資金収支報告書に記載する
いわゆる「連座制」として収支報告書の「確認書」交付を議員に義務付ける など
本則関係以外に付則についても発表されました
野党より提出された政治資金パーティ開催禁止法案や企業・団体献金禁止法案はいずれも否決されています
その野党案であってもいくつかの「抜け道」はきっとあるのだろうなどとついつい思ってしまいますが
進展したかのような印象の詳細は今後検討していくということになっているようです
今までの経緯を見ていると 抜け道を用意したうえで 形式的には法案の改正はするとしながら
実効性を担保する詳細については今後検討していくことになるとなっていますので
自分たちの生活や国の将来をゆだねている政府をこれだけ疑いの目で見ている国民の不幸を思いながらも
何か格好だけ整えて 立ち消えになるのを待つという作戦ではなかろうか などと今一つ信じられない思いがあります
この議論の大前提には「政治には金がかかる」という事が当然のようにみんなで共有されていることがあるようですが
「政治に金がかかる」と 一部の人しか政治に関われなかったり 献金という名の贈収賄が必要悪のように言われたり
政策の内容ではなく 金をたくさん持っている人(団体)に強い力が集まる などという事が起こるのだと思います
だから基本的には金がかかってはいけない からスタートして検討しないと根本的なところは腐ったままになるのではないかと危惧します
「金がかかる」を前提としての議論ならば 今回の改正案程度しか改められないのかと どこか分かったような気分になってしまうのも怖い話だな と思います
「金のかからない政治」は本当に無理なのでしょうか
もちろん国際的な駆け引きもあるでしょうから 機密費のようなものを認めることも必要だと思います
でも それはお互いの信頼関係があってこそ ではないのでしょうか
それもなく お金の力で支持を集めようとしたり 「政治には金がかかる」というのは常識だと言わんばかりの力ずくの駆け引きだったり
「国民はだまって俺についてくればいいのだ」と言わんばかりの力の取り合いでは
何も解決しないばかりか 余計に悪い方向に流されているのではないか と思ってしまいます
機密費の使途ならば 10年後あるいはもっと将来の公開でも理解できると思いますが
そのあたりを正々堂々と主張しているような議論は少なくとも私には聞こえてきませんでした
会社経営でも他のことでも同じだと思いますが 一つの集団を強くまとめてリードするには
何よりも強い信頼関係がなくてはならないというのは それこそ当たり前のハナシです
そのような事なしに前向きに改正したふりをすれば峠は越したとでも言わんばかりの決着では悲しいばかりです
もしそれも分からないならば 長く特別な社会で生きすぎて 世の中の常識が分からなくなっているのではないかと思います
それこそ ペナルティという意味でなく 一度普通の生活をして(議員をやめて)人間らしい感性を取り戻すべきだと思います
私の「あたりまえ」はもう当たり前ではなくなっているのかと ますますわが身の高齢化を嘆き沈んだ気持ちになります