東日本大震災から10年余が過ぎました

あれからも天災・人災色々な災害が起こっています

同じような災害に遭遇する可能性を考えたとき

自分にはそのようなことは起こらない などと言える人はいないはずです

だから 最低限人の命をそして生活を守るための施策を定め実行することは急務で

それにしては色々なところでずいぶんと長い時間が経過しています

地域経済の立て直ししかり 身体的精神的な傷のフォローしかり

そのような経験をばねに将来・次世代にむけた取り組みしかり

やっと生まれ故郷に帰ってくることができるようになったというニュースもあれば

故郷にかえれないまま人生を閉じた人も・・・ 

また故郷に帰れないまま 新しい生活と闘いのなかで

否応なしに新しい環境で生活せざるを得なくなって 

そのようになりたかったわけでもないのに故郷の記憶がうすれたり

またその記憶さえ奪い取られた人たちが 

根無し草のような不安な人生を送らされている

完全な復活は困難であっても もとにもどることはしょせん無理な希望であっても

でも何か個々人のご苦労に対してあまりにも無為無策な時間が無駄に流れた

と思ってしまいます

中には復活し羽ばたいた人々や法人もあります

しかし そうならなかったからと言って

無理だとあきらめて頑張らなかったからだなどということはありえないと

確信もしています

なのになぜこのようになってしまうのか?

例えば

原子力に対する政府の方針のように 

遅々として進まず何も決定されず思考停止になっているとしか思えないところもあります

政府や行政 また身近なところでは会社の経営者といった人たちは

前例や今までの規則や基準の表層や形にとらわれるのでなく

自分の頭で あり方や目指す姿を考え それを何としても実行に移すことが

その本当の仕事であり 期待される姿であるではないかと思います

それができないのは 

基準や指針といったものの形式にとらわれ違反さえしなければとか

社会や地域や仲間内のしがらみ(?)といったものにとらわれたり

短期的に自分の在任中さえ何事もなければという事なかれ主義におちいったり

前例をなぞることによって仕事をしたと自己満足するようなところがある

そのようなことが思考停止状態の原因の一つにはあると思います

だから世の中のリーダーたる人たちは・・・と

「お上」批判をするつもりはありません

私たちの職場でも 家庭でも あらゆるところで

私たちはとりあえずの無難を優先し 

問題を先送りしているとわかっていても 

でも今日は何事も起こらないことを望んでいるのではないでしょうか

なぜ?? に対して

でも法律違反をしているわけではないし とか

前任者もこのようにしていた とか

そのような指示を受けていない とか

本当にそれでよいと思っているのか?と詰め寄られると

なぜ私だけがそんなことに直面しないといけない アンラッキーとため息がでる

そう考えると 人の事などとやかく批判できる自分ではない と

認めざるを得ません

一人ひとりが 問題から目をそらさないで 

自分の頭で頭が破裂しそうなほど考え

形式や「常識」を隠れ蓑にしない

つらいだろうけれど そのような生きることに対する

腹を据えないといけない

世界規模で不確定なことだらけになり 不安定になっている今だからこそ

自分で考えて行動することが求められている

そのような世の中になってきている と

つくづく感じる今日この頃です