東日本大震災の津波で東電の福井第一原発の事故が発生し、安全だと言われてきた原発も 意外ともろいものだ との発見があり 事故の影響の重大性に比べて あまりにも私たちが非力であるということもみせつけられました

その後 脱原発路線に鞍替えすべき という主張と 今すべての原発を廃炉にすると経済に重大な影響を及ぼす という主張が真っ向から対立し 議論されているところです

私は京都市に在住しているのですが 今までは 原発については 申し訳ないのですが あまり自分の生活を根底から揺るがすものである との認識がありませんでした

海外でチェルノブイリの原発事故があり スリーマイルの原発事故があり それについてニュースなどで見ていてもどこか他人事で 原発の周辺で生活している人はこわいでしょうね って感じでした

関電の若狭湾周辺の原発に対しても 地元の福井県や京都の北部の人は大変な危険と隣り合わせの生活をされているけれど その代り莫大なお金ももらっているのだから それはそれでその地方の意思決定の結果なのでしょう みたいな感じでした

しかし 昨今 大飯原発の再稼働の議論などで もしここで原発事故が発生した場合の影響をみると 京都市に住んでいる私たちも放射能の被害を受けるらしい とわかりました

それよりもなによりも 琵琶湖が汚染されれば 京都滋賀だけでなく 大阪など琵琶湖を水源としている人々の生活基盤が奪われる ということにも気づかされました

私は だから 原発反対なのか とといつめられれば 確定的な意見を述べられない というところで はっきりと主張をする人を 「すごいな」と思ってみています

発電量がへれば 停電が起こる とか 夏にクーラーの設定温度をあげなければならない などという不便さを耐え忍べば良い程度なら 「安全な原発」に納得できるまでは 我慢します と言えます

しかし すべての工場で電気が制限されれば 生産能力が激減し 経済が壊滅的な打撃をうけると いわれれば 別の意味で 皆の生活が成り立たなくなる のはだめでしょう とも思います

一体私たちは何を求めているのでしょうか

今まで通りの便利で快適な生活 生活に不安のない程度の景気の安定 を望んでいるのなら 原発事故が起こる確率と比較する という考え方も成り立つでしょう

自分たちの世代の今の生活程度を優先するのではなく 将来に不安や危険をさきおくりしないことを最優先に考えるならば 見切り発車みたいな ことは してはならないということになるのでしょう

また 原発事故の想定には人災的なことはありえない 地震や津波のような災害が想定されているようですが それにたいしても不安を感じます 人の営みに「完全」や「絶対」はありえないと思うからです

それに日本海側の防備 ということからいうと 北朝鮮のテポドンが命中することはなくても テロの可能性だってないとは言えないのではないか とも思います

ああ 壊れちゃった 大変だけれど 再建しなくては・・・ だったらがんばればよいのですが

私たちの子供や孫が故郷で生きていけない となるようなことは 今の生活において不便をしのべば生きていけるならばそれを甘受し 先送りしてはいけない  というのが ベースになければならないのではないか

と思ったりする今日この頃です