実践する(悪法も法なり)
(2011年10月25日 10:00) カテゴリー:所長通信私共の事務所では、毎朝の朝礼で事務所ルール読本(固いものではISOの規定、軽いものなら留守中にかかってきた電話の連絡のしかた・・・を書いたもの)を1ページづつ輪読しています。 最初は順番に読むだけでしたが、今は何巡目かになってきているので、読んだ人がそのページについて改善点を指摘したり、感想を述べたりすることにしています。
みなさん なかなか立派な解説ができるようになってきて、はじめの頃に比べると、理解も深まっています。
ところで、最近ふっと気づいたことですが、みんなそれぞれのルールの必要性や内容を理解しているものの、「具体的にどのような場面でどれほど忠実にそれにしたがって行動しているか」 というと、「臨機応変に・・・・って感じでやってます」というところみたいです。 臨機応変ならよいのですが、「そこのところは、見ないふりで・・」なんてこともどうやらありそうです。
道路交通法があっても、最高速度を厳密に順守して走行していると他の車の邪魔になっている・・・とか、とかく法(ルール)はあまり厳守しようとしすぎると、かえって全体の動きを阻害する ということがあるみたいです。
なるほど・・・、私たちの事務所でも みなさん大人の対応でスムーズに仕事をながしているのか・・・ とも思いました。
しかし、です。
「この程度は・・」という「程度」というのは非常に個人差があるものでしょう。
ある人にとっては許される範囲と思われることであっても 別の人にとってはそんないい加減なことでは無法地帯になってしまうと思われることもあります。
あまりばらつきがでては、人間関係がぎくしゃくしてしまう なんて思いもしない弊害も出てきそうです。
特に、我が事務所のように少ない人数の共同体では この「程度」もあまりばらつきがあっては サービスの品質にかかわるかもしれない という心配もあります。
あまり詳細なルールを規定してしまうと スムースな活動を阻害し、非常に効率の悪いことになる、ということと、 品質にかかわらない程度で効率的な「理想のこの程度」を確実に確保する ということの両方を満足させる程度の細かさのルールの決め方
この悩ましい問題をどのように解決すればよいのかは なかなか難しいものです。
これの解決法として、いま事務所では、明文化したルールはできるだけ簡潔に、その適用については常に具体的に声にだして確認する、というところで、暗黙知レベルでの共通認識を持てないか と試行錯誤しています。
このごろは、メールという手段の発達で ともすれば事務所ないでも社内メールや社内掲示板で連絡等を済ませる という傾向にありますが、せめて一日一度は朝礼等で顔をあわせて声にだして コミュニケーションをとる ということを大切にしていきたいと考えています。