大阪大学 鷲田先生の文章に見つけた言葉です

「哲学する」とは 知っている(と思い込んでいる)ことを改めて問い直す作業 ということです

哲学と聞くと 何かわけのわからない難しいことを 議論する学問というように思って

私には関係のないとても賢い人たちの世界 と思ってしまいますが

このように聞くと 毎日をわかった顔で過ごしている私などもっとも哲学しないといけない人だと思います

それで ふっと思いました

私たちはあまりにも哲学していないのではないか

また学校で哲学を学ばなかったのではないか

だから 「変なこと」や「変な人」があふれてきたのではないか

きっとそうだ と 今確信しつつあります

日本の学校では哲学は何か難しいことを研究するものだと 位置づけられ

「哲学する」訓練がなされたこなかったのです きっと・・・

「哲学する」ことに特別な知識はいらないそうです

「自分たちの問題をいつもよりちょっと過剰に考えたい」(戸山田和久)という人たちが集まって

会話が生まれれば「哲学する」ことは始まる と言われてます

私自身はもちろん 私の周りの人たちも一緒になって「哲学する」ことを始めたいと思います

それがひろがれば 毎日のちょっとしたハードルなんて問題なくなり 落ち込む人もすくなくなり

相互理解もできるようになり(意見は違っても) 日常が落ち着く そして社会が少しマイルドになるような気がします