無差別殺人 と言われる事件を起こした犯人の言葉としてこのような言葉が報道されます

犯人の精神鑑定をする・・などとも報道されます

ものすごい恨みがあったとか はずみで というのでない限り(それだったら許されるというので決してありませんが)

人を殺めたい なんてまともな神経ではできないことでしょうから どこか精神状態がおかしいのは当たり前で

だから無罪 などとなると 何か釈然としない というのが 普通の人の感じではないかと思います

ところで 殺そうと思った の次 「誰でもよかった」というのは 違うと思います

本当は「誰でもよかった」のではなく 正確にいうなら「自分より弱い人なら誰でもよかった」ということではないですか

自分が危うくならないような自分より弱者なら誰でもよかった のですよね

ここは精神状態がおかしいではかたずけれらない ある意味まともな思考がながれていますね

人を殺せば死刑にしてもらえると思った とか この種のひとは 究極的に 自分がかわいい精神状態の人ではないかと感じます

このような事件が報道されるたび

こんな卑怯な とことん自分かわいい人に一つしかない生命を奪われた人は何のためにこの世に生を受けたのだろう

神様仏様は これをどう説明してくれるのだろうと心が涙でいっぱいになります

季節はお盆  大文字や灯篭の灯りに 亡くなった人を思い

なぜ私は この世に生をうけてこの歳まで生かされてきたのかと その意味をかみしめています