情報社会と言われる現在の環境において

偽情報が発信され それが拡散してしまうことを防ぐことは不可能であるという事は

誰しもが認めるところだと思います

私たちがある情報に接した時 その情報が真実なものか偽かをどのようにして見極めようとするかということについては

行動経済学の権威であるダニエル・カーネマン史は

人間の「システム1」と「システム2」の2つの認知過程にわけて説明されています

すなわち

「システム1」は高速で「直観的な」過程で 「システム2」は注意力を伴った「頭をつかう」作業の過程であるとされています

人間はこのシステム1と2を両方つかわないと正確な意思決定はできず

その上 人は自分の考えに沿う内容を本当だと信じ そわない内容をウソであると思う傾向があり

この確証バイヤスが情報に接したときの意思決定に影響すると言われています

コーネル大学のゴードン・ペニークック准教授の研究では

偽情報をウソだと見抜けないのは確証バイヤスのせいではなく システム2による分析的思考が足らないことが要因だとされています

とすれば 私たちがもう少し落ち着いて考えれば偽情報の拡散を減らせる可能性があるということです

そして このシステム2が十分に作動させられないのは 情報過多が原因であると考えておられます

前回のこの欄で私は日本社会ではAI情報を取り入れるシステムへの投資に非常に憶病である という話を書きましたが

人間ならば情報に対してシステム1を働かせることもできますし

多様な意味を総合的に取り入れ判断することができますが

感情やニュアンスというものを感じ取る能力が生身の人間に比べ少ないAIではそのような面からの判断や意思決定をしにくく

不安や 不満の感情が察知しにくく 明らかに過多な情報を簡単に取り入れ 機械的に発信したり伝達したりしてしまう 

という事を 私たちはそれこそシステム1の過程で察知している という事もあるのではないかと思います

ハナシは変わりますが

子供たちに端末のタブレットを与え教育することは情報社会でのツールに馴れるという意味では必要だが 

知能を育てることができない ということがわかってきていて

タブレットを使った学習に重きを置きすぎると〇か× あるいは3択や4択の答えをだせても

考えて解決策を見出すという学習はできず だから このような教育ばかりしていては

「バカしかできない」という主張を見ました

この面での先進国でもタブレット漬けの学習を見直す機運が出てきたということです

まさに人間力を磨くこそこそが AIの利用や成熟にも 情報過多の世の中に流されないためにも

大切になっている という事を今こそ認識しておくべきだとつくづく思っています