お盆のこの時期になると 終戦記念日 原爆記念日と 戦争に関する記事が新聞紙上他 色々なメディアで取り上げられます

その都度 戦争の悲惨さが改めて心に迫り 

傍観者であってはならない 小さな力でも自分でできることを行い 

戦争や被爆の体験を風化させないために何かしなければ と強く思います

しかし 何もしないうちに1年がたち また同じことを言っている自分に いい加減情けない思いが覆いかぶさります

何も過去の戦争のハナシではなく 今もウクライナでもガザ地区でも多くの罪もない子供たちや人々が命を奪われています

それらの現実を耐えがたく感じる心が本当に自分にもあるのだろうかと思うことさえあります

人のことをとやかく言う前に まず自分がそんな偉そうなことを言える人間かと情けなくも思います

原爆記念日で小学生が訴えた「平和への誓い」に

願うだけでは、平和はおとずれません という一節がありました

本当にその通りです

私の祖父母も父母も戦争体験を話そうとはしませんでした

つらかった記憶もあり その当時何もできなかったのだろうかという思いに 

「仕方なかった」 としか自分を慰められない苦い思いが取り除けないつらさもあったのではないかと思います

小学生の高学年になったころ 父に「なぜ戦争反対という声があげられなかったの」と詰め寄ったことがありました

父は「そんな世の中でなかった」としか言いませんでしたが

私は そんな人のせい 世の中のせい にするなんて 卑怯者と思いました

さすがにそのように言って攻めませんでしたが 責めずによかった と今は思います

そして 自分がその当時に生きていてもやはり言えなかっただろうと今は思います

今だって声を上げねばならない時なのに 

そしてもっと声を上げやすい時代なのに

何もできない自分がいることを認めざるを得ないのですから

私にも小学生の孫がいます

急に真剣な深い話をするのも難しいとは思いますが

何かきっかけをつかんで戦争などについてのハナシをしたいと思います

また広島の平和公園に行き 記念館を一緒に訪れようと思います

せめて小さな小さなことでも 少しでも小さな孫たちの心に何か残したいと思います