自己肯定感とは、「ありのままの自分を肯定する、好意的に受け止めることができる感覚」のことだと説明されています

他人と比較するのではなく、そのままの自分を認め、尊重し、自己価値を感じることができる心の状態を指すと言われています

人間関係やパートナーシップ、仕事や自己実現においても、自己肯定感が土台となり、幸福に大きく影響する感覚です

というように 自己肯定感の意味を検索すると解説されています

そして 自己肯定感を高める方法とか 自己肯定感が低い状態とは などと関連した記事が色々あります

ある人は 過干渉の親のもとで育ち 一つ一つの言動について否定されたり強制されたりしてきたから 自分は自己肯定感が低い と言います

また ある人は仕事で行き詰まり何をしても自分はうまくいかないとしか思えない すなわち自分は価値がないと思える と言います

ここまでくると 仕事鬱ではないかと心配になります

誰しも 自分で自分を認められなくなったら本当につらいと思います

また誰しも 何をしてもうまくいかないと落ち込む時期はあり 逆にそのような時期の経験をばねにして成長することもあります

そのような誰しもが 自己肯定感を持ちたい 生きて生活することを幸福と感じたいと思いますから

自己肯定感を高める方法 などという記事が多く出ているのも納得できるところであります

そういう意味では 子供のみならず 仲間と接する時 部下と接する時は 「上手にほめて育てる」と言わるのも意味のあることなのだとわかります

ところで 人間年を重ねると それまで自然にできていたことができなくなってきます

自分ではそれができていたころのイメージがあって 何とも思わずに行動した途端 

思っていたように体が動かなかった とか 話ができなかった というようなことを経験して

びっくりすることを通り越して 暗澹たる気持ちになったりします

いわゆる「年と感じる」という経験がこれなのだと思います

ずっと自己肯定感が得られない経験が積み重なってくるのです

また 自動車の運転のように 毎日していると運転技術が劣ってきていることに気付かず

ある日大きな事故につながったりして自分ながら驚いたり不思議がったりすることになることもあります

そんな時「もう歳なんだから 無理しなくてよいよ」とか「これ以上ボケないように**すれば」というように

簡単な作業や仕事をあてがわれることも経験します

きっと周りの人達(子供たちとか・・)は優しさからの発言であり優しさからの対応なのでしょうが

場合によってはこれは深く心を傷つける刃ともなります

自己肯定感を感じられなくなっているところに それを周りも思っているということを思い知らされるのです

若いころは このような対応がかえって老人を気づつけているとは全く気付くことがありませんでしたが

今になってだんだんとそれを感じるようになってきました

ではどうすればよいのか

人によって性格も違えば おかれている環境もことなります

ですから ただ一つの確定的な答えはないと思います

強いていえば 自分と同じ人間なのだ ということを忘れないことだと思います

優劣や上下がある関係ではなく みんな同じということはないという当たり前の個性の違いなのだと

理解することではないかと思います

だから得意な分野で大いに活躍していただき それに対して大いに感謝すればよいのです

昔から勉強やスポーツで劣等感を持っていたから 気持ちはわかると思われる方があるかもしれませんが

できたことができななくなった というのと もともとできないこと というのは全然違うのです

これからますます高齢化社会になっていきます

好むと好まざるにかかわらず いやでも高齢者と接することなしに生活できない世の中になります

子供に対してだけでなく 高齢者にたいしても自己肯定感を持てるような配慮が求められる と思っています