前回この欄で 長崎市性暴力判決にふれ

まだまだ日本は男中心社会で 権力や組織の力をバックにした男性優位な社会だから

二次被害を恐れて泣き寝入りする女性もまだまだ存在する

そのような中で個人の問題としてだけでなく社会的な関係性で捉えるべきであるとか

組織には二次被害を防ぐ義務があったのに 職員を指導するなどの適切な措置を取らなかった

などと指摘し 組織の責任を明確にしたところが画期的な判決であった

・・・というような内容を記載しました

それにしてもともすれば 二次被害などを恐れたりして被害をうけても訴えない女性がまだまだ存在するのに

原告の女性はよく頑張った とつくづく称賛する気持ちでありました

ところで

別のところで エマ・ブラウン著の「男子という闇」(山岡希美訳)という本の紹介をみました

この本はジャーナリストであり男児の親でもある著者が

男子を育てる際に大人は深刻な性暴力被害を見落としていると指摘している内容の本であると紹介されています

この本によると性暴力被害において「被害にあうのは女の子」「加害者は成人男性」との思い込みが

大きな死角を生んでいるということです

本書によると少年の6人に1人は幼少期に性的虐待をうけており

男性の約4人に1人は、生涯のうちになんらかの性暴力の被害にあっているとも報告されていると述べられています

この被害にあった少年の多くは 物理的な接触による自身の反応などがあったりすることもあって

混乱し 恥じ 誰にもうちあけられていない ということでもありました

私たちの周りでも 例えば童貞をからかったり 後輩などを無理やり性風俗店に連れていく などといったことは

仲間同士で面白がってもりあがっているというようなエピソードとして聞いていたり

それは大人になる男社会での通過儀礼くらいにしか思っていなかったりして

それを性暴力やセクハラとは感じず 男の子は一時は混乱しても傷つくことはない などと思ってしまっている

この様なことは普通にあるように思います 

きっとみんなが「男の子というのは・・・やんちゃでちょっとエッチなことが好きでタフで女の子のお尻を追いかけるのが好きで」などという

固定観念があって 男の子が被害者の場合 それが性暴力被害であるとなかなか気づかない という背景がそこにはあるのではないかと思います

この本の紹介者は最後にこのように締めくくっています

「だって男子だから」は思考停止なのだ

男らしさの幻想はまさに加害も被害も見えなくしているから・・・