書く力
(2021年1月18日 09:00) カテゴリー:所長通信「書く力」が重要と書いたメール(広告)を何度か受信しています
広告(DM)だろうという体裁なので 読み込んだりしていないのですが
「書く力」が大切と言われたときに思うことがあります
SNS上での受発信をみても 少なくてもビジネスシーンでは
「書く力」が以前より重要になってきていることは 間違いないと思いますが
そのような表面的にネット上の情報の受発信が文章によることが多いといったことではなく
「考える」ということは頭の中で文章を作成していることに相違ないと思うからです
だから英語を母国語とする人は英語で フランス語を母国語とする人はフランス語で・・・考えますから
考え方 感じ方(感じたことを具体的に表す)はどの言葉でしているかによって
同じことについて考えたり 感じたりしていても
どこで生まれ育ったかによって違ってくるということになるのだと思います
少なくともその大きな原因になっていると思うのです
ところで 日本語は特殊な言葉であるとよく言われます
思えば 主語や述語が明確でなくても 通じてしまうような言葉です
昔 英語の授業で「トンネルをぬけると雪国だった」という有名な小説の書き出しを英訳しなさい
という問題をとおして英語と日本語の違い
もしくは日本語の特徴を教えていただいたことを思い出します
私は秋の虫の声を美しいと感じる感性などとともに
この日本語の中で生まれ育ったことを良かったと思っていますが
しかし公用語を英語にした会社もあるように
ビジネスシーンや国際的な会話の場では不便な言葉であることも感じています
これはたぶん会話としての表現というだけにとどまらず
主語や述語が曖昧なままでも通じてしまう(わかった気になってしまう)
頭の中(思考)が問題なのだと思っています
おもえば小学校の国語の時間は文章を読んで
「**さんはその時どう思いましたか」などという問題が多かったように覚えています
少しは意識して 情緒的な表現はそれはそれで大切にしながらも
子供のころから
明確な言葉として頭の中に入れて考えることも意識したほうがよいのではないでしょうか
いくら「公用語は英語」としたとしても
頭の中で日本語を英語に訳し 英語を日本語に訳し として表現しているようでは
頭の中は曖昧な(美しい)日本語で考えたりしているわけですから・・・