無意識の差別
(2020年11月24日 09:00) カテゴリー:所長通信ALS患者の方への嘱託殺人事件があってから もう2ケ月以上たちます
この事件をうけて 様々な意見が飛び交いました
思いを受け止めて 何とか生きたいと思っていただけるようなことはできなかったのか とか
この患者の方の気持ちは理解できる とか
安楽死の是非についての議論が沸き起こったりもしています
「体が動かずすべて人に頼らざるを得ない生活はとてもつらいだろうから
安楽死を認めてあげてもよいのでは・・」 とか
「病気をもってとても苦しいだろうに それでも生きろというのは健康なものの独りよがりの強制なのでは・・」
「難病でただただ呼吸をしているだけのような状態の人が死を望んでも否定できないのでは・・」
といったことを 私自身思ったこともあるし
そのような意見を目にしても 特に異端なものとも感じませんでした
しかしながら ある新聞記事を見て
それは そのような人はつらいに違いない とか
生きること自体を否定的に考えても仕方がないのではないか とか
ご本人のことを勝手に想像して 「かわいそうな人」と差別していたことに気付かされました
私にしても そのような意見を述べられる人たちも
決して差別しているとは自分では意識してないことは間違いありません
むしろ そのようなつらい(であろう)事実に同情することは 優しい人 くらいに思っていました
それでは どのように接すれば・・・というのは 正直わかりません
その昔 癌で余命いくばくもない母が 病気を心配して日常生活でできるだけ疲れないようにと積極的に介護しようとした父と
あまり介護などは意識しないで、母を頼ってばかりいる娘(私)を指して
献身的に介護しようとする父より 私の方がよほど自分にとって気が楽だ といったことがありました
献身的に尽くそうとしている父がかわいそうだとその時は思ったりもしました
比較できるようなことではありませんが そのようなことなのかな と思ったりします