私のデータが私を襲う
(2019年5月27日 09:00) カテゴリー:所長通信これは今年4月18日の日経新聞のopinionに載っていたコメントのタイトルです
このタイトルをみて
私が日々なんとなく気になっていたことが解説されているのではと思い 目を通しました
私は 通販で買い物をするときに 「あなたがほしいと持っている他のサイトへの案内」とか
「前回購入したものの一覧」といった案内が現れることが 便利とは思えず
私本人以上に私のことを知られている と気味悪く思っていました
それらで直接的な被害にあった経験はないものの
たとえば消費税値上げ時の大々的キャンペーンにのってスマホ決済を利用し
パスワードの代わりに指紋認証や顔認証をつかってより安全になったと安心するなどは
必ず私自身にも起こります
そうなってくると たとえばスナップ写真のVサインから私の指紋情報が捕られ、
ネットに何の気なしにアップした声や顔から偽の私が作られ
その偽もの(データ)によって本人の知らないうちに犯罪に利用されたり 被害を受けることも
大いにありうるということに発展すると(ほとんど)確信できます
それが いわゆるハッキングなどによる被害ならば事故にあったと同様なんとかあきらめることもできるかもしれませんが
そのデータはたとえ無意識であっても自分がまき散らしていると思うとゾッとしてしまいます
自分は間違ったことはしていない したこともない などということは何ら自分についての信用を保証するものでなくなり
いつでも被害者にもなり そして加害者の協力者にもなると思うと 毎日どこまでこの便利さや手軽さを享受してもよいなか
などと悩ましくなります
無知であること自体が罪なことになると思わなければならないのです
もちろん このような世の中のテクノロジーの進歩が良い方向で利用されることによる利点はとてつもなく大きく
単なる心配や可能性で進歩を止めようと考えることは無意味どころかいけないことだともわかっていますし
またこの面での発展は止めようとしても止まるものではないこともわかっています
せめても世界中の国によるデータ活用の規制であったり 企業によるリスクへの積極的な関与が望まれるところだと思いますが
個人単位までこのリスクを自分に突き付けられた脅威として キチンと評価し正しい姿勢の必要性を考えるという
そのような世の中にならない限り いたちごっこは拡大し拡散し そのリスクは人間や国では制御できなくなると思います