「無謬性(むびゅうせい)の原則」というのがあるというのを最近知りました

「ある政策を成功させる責任をを負った当事者の組織は、その政策が失敗した時のことを考えたり議論してはいけない」という

信念のことで

日本の政府や大企業の官僚組織ではほとんど無意識のうちに前提とされているとありました(5月22日日経新聞 大機小機)

よくよく考えると むしろ失敗する可能性も入れて それぞれの可能性における対策を考えてこそ健全ではないのか と

思われます

でもそういわれれば 確かにこの原則の言うとおりの行動がまかり通っているところはたくさんあるし、

何かの政策が失敗した時には その政策を打ち出した人や組織が失脚して 

新しい政策を打ち出した人や組織がまた新しいスタートをする 

というのが 政治の世界であるとすら思えてきます

絶対成功することの方がむしろありえないのだったら うまくいかない時は・・・ということも想定してこそ

の責任ある行動と思うのですが

その方が不幸を生み出す危険性や確率もすくなくなるのではないかと思います

最も 失敗だとわかった段階で次の人に代わる方が 誰かが居座って権力にしがみつくよりはよほどよいでしょうが・・

そういえば 昔仕事で予算統制について指導していた時、

それまでずっと赤字が続いている部署で 特別の目新しい施策も見えないのに黒字の予算が提出されたので

黒字予算の根拠を質問した時 責任者が「赤字予算はたててはいけないと思って・・」と回答したことを思いだしました

つまり黒字がでる根拠も予測もないのに はじめから赤字の数字をだしてはいけないから という理由で黒字予算を書いた

ということなのですが これも無謬性の原則の一例かもしれません

そう思うと 無謬性の原則とは 必ずしも官僚組織や政府機関の専売特許ではないのでしょう

公であれ私であれ 必ずしも想定通りにものは運ばないことを前提に 

いろいろな場合は可能性を想定して対策を考えていくのが やはり健全な運営と思いますが・・