社会的手抜き
(2018年6月11日 09:00) カテゴリー:所長通信心理学に「社会的手抜き」という言葉がある といただいたレターに書いてありました
人は集団になると、一人で作業するときに比べ、つい手を抜いてしまう現象のことをいうのだそうです
そういわれれば 思い当たることはたくさんあります
大きな組織での不祥事があったというニュースをみると、
これだけの立派な組織がなぜここまで手を打たなかったのだろうと不思議に思ったり
また謝罪会見に出てきた人も そのポストにあるから貧乏くじを引いた とでも思ってられるのかな
という印象をうけてしまうこともあります
そんなヒトゴトでなく
自分のことを顧みても 「自分は直接の担当者ではない」とか「これは**さんの仕事だろう」とか
ヒトゴトのように思っていることに気づくことがあります
お恥ずかしいことですが 弊事務所でも 何かミスが見つかったとき
「ああ なんでもっと気を付けてみていなかったのだろう」とか
「この後どうしたらいいのか」とか ひたすら落ち込んだり 奔走するのはまず私です
事務所の代表としては当然ですし ミスをした個人を責めようとも思いません
しかし、当事者には少しくらい落ち込んでほしいという気持ちにはなります
「私は指示された通りにしただけ」とか どうかすると「私にそのような仕事を与えた上司が悪い」といった
言い訳がでてくると ミスをせめているのではなく 自分の問題として真剣に対応してほしいのだ と
声を上げたくなります
また 当事者でなくても 自分がそのようなミスをする可能性もあるのだから ヒトゴトではないとまわりの人にも
真剣に対応を考えて行動してほしいと要求したくなります
仕事の場においてこの「社会的手抜き」を防ぐには どうすればよいのかと常に考えます
言葉でいうなら みんなが当事者意識をもち 自分が組織をよくしていくのだという責任感を持つことでしょう
そうなってもらうためには 役職を与える? 共通のコンセンサスをもつ? 同じ目的意識を持つ?
組織のかけがえのない一員であるという意識をもってもらう? 報奨金や罰金でやる気をださせる?
どれもありそうで違う気がするのです
常に心からみんなと接し その思いをわかってもらう ってドラマにもならないような熱い気持ちで頑張る?
でもきれいごとでは 近頃の人はみんな当事者意識をもって仕事にとりくみませんよ という悪魔のささやきも聞こえてきます
難しい難しい問題です カリスマ社長はどのようになさっているのでしょう