一連の事件で「忖度」という言葉が広まりました

「忖度」という言葉を聞くと 

権力者にこびて その意を先回りしてそれを実現できるようにする といった

嫌な感じがします

しかし 「忖度」という言葉はもともとは

「他人の心中をおしはかること」 という意味で 

否定的ないやな言葉ではなく むしろ美徳であり大切なことであり

日本人のよいところであるといえるような言葉であるとのことでした

私たちはむしろ本来の「忖度」を身に着け 良い意味で発揮すべきだと思います

とはいうものの ちょっとこのマイナスイメージを挽回するのは・・・・

「忖度」という言葉 に申し訳ないような気持ちです

日本語とは 言語化されないコミュニケーションで成り立つ言語であり

日本の文化の神髄はそこにあるとまでいわれています

わざわざ言葉にして命令するとぎくしゃくしたり することが 

互いに心を推し量りあうことができるので 優しい社会が成り立つというものだと思います

京都人は「京のお茶漬け」といわれ 何か「いけず」な目と態度で他者を寄せ付けない ような言われ方をしますが

私は日本文化の成熟の一つの姿であって 文化である とマイナスイメージで言う人に反論したい思いがいつもします

「もう夕方やからかえってください」「いったいいつまで居るのですか こちらもいそがしいのに・・」などと

言葉にしてしまうと 喧嘩を売っているのか ということになるのに・・・

「もう一杯お茶でも・・・」「いえいえ もう帰ろうと思っていたところですので・・」ソフトな付き合いではありませんか

このニュアンスが分からない人は この社会では生活できないし この流れにのれないと「なんと無粋な田舎者」となりますから

確かに・・ではあるのですが

でも 「忖度」の言葉の本来の言っていることはこのようなことではないかと思ったりするのです

それなら 「忖度」大いに結構 「京のお茶漬け」大いに結構です

私は「忖度」ができる文化人になりたいと思っています