たぶん仏教関係の言葉だとおもうのですが(という程度の知識ですが)

「同事」という言葉があります

同じ目線で相手に敬意の心をもって接するという意味ということです

だからたぶん仏教は仏教でも日本の仏教での教えかな などと思っています

いわゆる「言わなくてもわかる」あるいは「言わなくてもわかる」ように接する

ということだから ある意味非常に日本的であって

日本人ならば そういうことはある程度自然に思っているでしょうし

そのような接し方ができない人は 気の利かない人 とか こまやかな感性のない人 

みたいにみられるような感じがしています

それに対して イスラム経の「コーラン」では

神様はお互いに理解するために違いを造られた と言われているそうです

この世界では たぶん 言わなければわからない のが当たり前で

だから それぞれの主張をぶつけ合って理解を深める ということになるのでしょう

また それができないと国際社会では理解してもらえない また負けてしまうということでもあるでしょう

私は日本人でそれもその中の古い京都で生まれ育った人間ですから

なんでも直接的に口にすることははしたないと教えられ

だから 人と接するときは 言われなくても気づかないといけない

それが たしなみである というように躾けられたものですから

直接的に主張をぶつけ合うということが気持ち的にはなじめないところがあります

どちらがよいとか上等かという話ではないのは当然ですが

しかし 主張ばっかりいうのではなく また なんでもちゃんといわなければわからない というのではなく

言外の気持ちや状況を推し量れる人間でいたいな・・という気持ちをいまだに持っています

そこに人間としての優しさ 思いやりもあるのでは という気持ちが抜けきっていません

気づきや優しさは強制するものでも できるものでもないので それがないのは「がさつ」という気がしてしまいます

だから でもないですが 言葉にだして「忖度してください」とはどういうことなのか 理解不能です