どこかの企業にお勤めの人は 事業主から給料をもらいます

この給料は何に対する報酬と理解すればよいのかと考えることがあります

一般的には、その人が働いて提供した成果に対する報酬と解されると思います

しかし、勤務時間の間、自由を制限され指揮に従うことを強制される 束縛に対する時間に対する報酬 という考え方もあるやに思います

たとえば単純労働の場合で、その労働に対して達成感も成長しようという動機もなければ 時間束縛代という考え方にうなずけます

束縛に対する報酬と思えば単価(単価についての評価の問題はあるとしても)に束縛時間を乗じた金額が給料であると計算されます

労働に対する裁判などについての報道などを見ると ブラック企業が残業代を払わなかった とか

管理者という形式にして残業代をつけなかった とかが問題になっているようです

もちろん 労働に対してキチンとした対価を支払うのは労働者の権利であり事業者の義務であることにいは議論の余地はないところでしょう

単純労働や肉体労働と言われるものについてはまさにその通りでしょう

そして 管理職は時間で評価できる職でないので、残業代はつかずその代り(?)管理職手当だったり 職能給だったりで給料が計算されることになる

という一般的な取扱いもわかります

では いわゆる頭脳労働は あるいは企画するような労働についての残業はどのように評価すればよいのかと考えます

このような労働の成果としては報告書や企画書のようなものがあるにしても、その内容もふくめての成果については必ずしも労働時間とは比例しないように思います

また内容についての評価に客観性の入る部分は大きくないかもしれません

それでも 今の残業などに対する取扱いは 時間を基準としての計算しかないようです

以前労働基準局の人に このような計算は仕事のできない人(要領の悪い人 非効率的な働き方をしている人)が相対的に高給とりになることになり

ある意味不平等ではないか と質問したことがあります

その時、それ(その質問)はその通りです 必ずしもそれが平等であるとは言えないケースはたくさんあるとも思います

しかしその他(時間以外)に客観的な基準がないので・・・というようなお話しでした

そうなのかな・・・と思いながら それでは本人のミスを原因とする残業などはどのように評価すればよいのかと思います

ミスなどしない人の必要不可欠と言えるような残業とこのような残業が頻繁に起こるひとの残業代をくらべた時

時間単価で差をつける とか 基本給や評価のところで差をつけるというのが一般なのでしょう

基本的に仕事のできるできないの評価が給料の査定にはあるので そのような対応で解決できると思っていたのですが

今般 その程度ではバランスが取れないくらいの差が生じるという事例がでました

そのため 賞与加算や臨時賞与でバランスをとるという対応をすればよいのかなどいろんな方法を検討してみましたが

ごく少数のマイナス評価とのバランスのためにその他をかさ上げすることの実現性もありますし

本当にそれだけでバランスが取れるかどうか また算定根拠をだして説明できるのか

すなわち客観性があると言い切れるのか という疑問もあります

問題は残業代を計算するにあたって 基準通りの方法で計算する残業単価では質的な差は反映できないということであり

バランスを言うなら あまりに非効率であり単に時間の浪費とも思えるような残業をしている人の賞与減算で対応することが正しいのでないかと思われるものの

賞与減算は当人を傷つけたり減算根拠を明示したりできるかという問題や金額的な限界があると言うことをクリアするためには減算は難しい という

きわめてデリケートな現実問題をどのように解決すればよいのか というところにつきるように思います

最終的には事業主と従業員の信頼関係やコミュニケーションに帰するのかもしれませんが

真に平等というのは 人間にはできないのか と

ちょっとオーバーですが 考えさせられるところです