言論の自由と匿名性
(2013年11月11日 09:00) カテゴリー:所長通信私自身は仕事で必要なこと以外は あまりネットとかかわることがありません
年のせい と言われれば そうかもしれませんが
わざわざ 世間にむかって声高に訴えたい と思うほどの強い主張を持っているわけでもなく
用事があれば電話か手紙と思っています
また 会話は会ってって顔をみて 五感をつかってコミュニケートするものだと思っているので
顔も見ない 声の調子もわからない 表情も見えない で話することにむしろ不安を感じる方です
昨今 ネット上での誹謗中傷に耐えられなくて自殺をした というような事件もあります
学校でのいじめの一つの形として ネット上で悪口を言っていじめる ということも有るようにも聞きます
なぜ このような陰湿なことがはびこっているのか と 不思議に思うと同時に悲しくなりますが
ひとつ思い当たるのは 顔をみないからエスカレートするということかなということです
自分の言ったことが自分で思った以上に強く伝わって 相手が泣いてしまった とか怒ったということがあれば
すぐに反省したり 誤解を解いたり 真意を改めて伝える ことができるのに
それが見えないので そのようなチャンスが与えられない とか
だから 必要以上に調子にのって相手を傷つけてします ということが起こっているのでしょう
そして それ以上に 相手の表情などがリアルに伝わる場面では
自分の言いたいことが言えない というわけのわからない事もあるようで そでが問題を難しくしているように思います
人に嫌われたくない とか 悪く思われたくない という八方美人的な気持ちが強すぎ
結果 真逆のことが起こっている ということかもしれません
やはり 大人になる過程で 言い合い喧嘩しあい それを乗り越えて成長していく という環境が必要で
それが行き過ぎにならないように それらの成長を見守る周囲の暖かい目と指導が 昔以上に必要となっているのではないかと感じます
ネット上の言い合いなどは 周囲の大人の目がないところで子供同士だけで進んでいくので 行き過ぎになることは当たり前で
怖いことなのだと気づかないといけないのですが
うすうす気づいていても なかなか入り込めないとか 見つけられない とか
問題の元になかなか手が出ない というのが 現実なのでしょう
インターネットでの情報の受発信を制限するとか 監視するとかいうことになると
個人の自由の制限とか言論の自由の束縛とかいう問題と対峙することにならざるを得なくて
そこを上手に というのは 誰にとっての善 が優先されるべきか という問題にもなり
規制というのは そう簡単にしてもらっても良いわけでもないでしょう
まずは ネットを利用する全員の意識の向上が求められる としか言いようがないのでしょう
しかし 根深い問題がこのようにでてくると 手をこまねいているわけにもいかないことになります
幼稚園や小学校でパソコンを触る授業がはじまっているように聞きます
単に操作の仕方や利用の仕方を教えるのでなく
同時にこの怖さも教え倫理観を育てることには急いで着手してもよいのではないでしょうか
そして 唯一 規制してよいと思うこと それは 匿名性の排除です
ネットを利用するにいは どこの誰であるか と明確にしないと 利用できない というようにしてはいけないのかと思います
ネットの匿名性は悪であると思います
自分の顔も名前も出さないで言いたい放題言う というのは卑怯です
名前をだした瞬間に逮捕される といった社会が存在する限り それも無理 なのでしょうか